一枚の写真 今仁編
2018年10月02日(火)
1963年、大学を卒業して『東京いすゞ』に入社しました。
同期入社は60名でほとんどが東京出身者で地方出身者は数名でした。
研修を終えて、営業部に配属されたある日、
夕方帰社すると、数名の課長が集まって
「人事部も人を見て配属しなければ迷惑だよ。
東京の地理もわからない、電話もうまくとれない、
地方出身の新人は困る」
と話し声が聞こえてきました。
それが私であることはすぐわかりましたが、
当時は就職難の時代で会社をやめる勇気はありませんでした。
しばらくして、上司から仕事の依頼をされたことがあります。
うっかり忘れて催促され、あわてて提出しましたが、
以後、その上司から私に仕事の依頼は一度もありませんでした。
このことがあって、報告・連絡は「営業の基本」だと肝に銘じました。
1976年、郷里大分のいすゞへ転職しました。
そこでは、営業に従事し、
営業責任者、役員も経験しました。
2003年に現在の社長のお誘いもあり、
この会社にお世話になることにしました。
78才の現在まで営業顧問として第一線で働けるのも、
足かけ50年の営業経験の賜物だと思います。
「無」から「有」を生み出すやりがいのある営業の仕事に携われ
本当に良かったと思います。